トップページ>巻頭言

SCHOLAR ERRANT

ギャラリー

トップページ>自由投稿>非リベラル国家宣言の背景 寺尾 信昭

草稿から掲載まで

1. 和文草稿段階
2. 和文投稿
3. 英文草稿段階

論文作成の手引き

研究者のエッセイ
論文作成一般について
海外投稿について

書評論壇

書評

他分野における注目すべき動向

非リベラル国家宣言の背景

  >>> pdf

  • ―ハンガリーのユダヤ人問題と新保守主義の系譜―

                              寺尾 信昭

はじめに                  >>> pdf

1 移民導入政策とユダヤ人の同化      >>> pdf
      新保守主義の台頭

2 大戦下のユダヤ人問題アンケート     >>> pdf

3 ヤーシ・オスカルのユダヤ人論      >>> pdf
      戦後革命のイデオローグとしてのヤーシ

4 アディ・エンドレのユダヤ人論      >>> pdf

5 新保守主義の系譜            >>> pdf
      体制転換後

6 非リベラル国家宣言           >>> pdf
     ストップ・ソロス法
     結語にかえて

人名解説                 >>> pdf

Background to the Declaration of Illiberal State (summary)     >>> pdf




人名解説
 [ア行][カ行サ行][タ行ナ行][ハ行マ行][ヤ行ラ行


[ア行]

アーゴシュトン・ペーテル(Agoston Peter)[1874-1925年]:法学者。1919年、ソビエト共和国で外務人民委員と司法人民委員を務めた。ソビエト共和国崩壊後に死刑判決を受けたが、1922年、ソ連との捕虜交換でモスクワに亡命。パリで死去。

アディ・エンドレ(Ady Endre)[1877-1919年]:印象派の詩人で『ナジヴァーラド日報』の記者。トランシルバニアのジェントリ出身。ユダヤ人との共生を提唱。

アポニィ・アルベルト(Apponyi Albert)[1846-1933年]:伯爵。農本主義派の指導者。1910年、独立党に入党。1906-10及び1917-18年、宗教・教育相。

アンドラーシ・ジュラ一世(Andrassy Gyula)[1823-1890年]:伯爵。アウスグライヒ推進派の重鎮。初代ハンガリー首相(1867-71年)や共通外相(1871-79年)を歴任。



イェセンスキー・ゲーザ(Jeszenszky Geza)[1941年−]:歴史家。民主フォーラムの創設メンバー。1990-94年、外相。1994-98年、民主フォーラムの国会議員。1998-2002年、駐米大使。2011-2014年、ノルウェー大使。

イシュトーツィ・ジェーゼー(Istoczy Gy?z?)[1842-1915年]:弁護士・政治家。1872年、デアーク党の衆議院議員。十九世紀末の反ユダヤ主義指導者。



ウェーバー、マックス(Max Weber)[1864-1920年]:ドイツの社会学者・経済学者。西欧近代の根本原理を合理性と仮定し、資本主義の原動力を主としてカルヴァン派の世俗内禁欲と生活合理化に見た。

ヴァージョニィ・ヴィルモシュ(Vazsonyi Vilmos)[1868-1926年]:弁護士・政治家。1900年、市民民主党を創設。1901年、衆議院議員。1915-17年及び1918年、司法相。

ヴァルガ・イェネー(Varga Jen?)[1879-1964年]:1906年、社会民主党に入党。1919年2月、ハンガリー共産党に転身。ソビエト共和国崩壊後、ソ連に亡命。1927-47年、ソ連科学アカデミー世界経済・政治研究所所長として、コミンテルンの経済分析と経済政策を担当。

ヴェネティアネル・ラヨシュ(Venetianer Lajos)[1867-1922年]:1897年、ブダペスト近郊ウーイペシュトのラビ。1910年、ラビ養成学院教授。

ヴォナ・ガーボル(Vona Gabor)[1978年−]:2001-03年、フィデスの党員。2003年、ヨッビクに転身。2006-18年、ヨッビクの党首。2007-09年、ハンガリー自警団の代表。



オルバン・ヴィクトル(Orban Viktor)[1963年−]:1992年、ソロス財団の奨学金でオックスフォード大学に短期留学(二ヵ月半)。1993-2000年と2003年以降、フィデスの党首。1998-2002年及び2010年以降、首相。

カーダール・ヤーノシュ(Kadar Janos)[1912-1989年]:1956年革命の挫折後、社会主義労働者党の指導者(1956-88年)。1956-59年及び1961-65年、首相。
カーロイ・ガシュパル(Karoli Gaspar)[1529-1591年]:聖書をハンガリー語に翻訳し、出版した(1590年7月)プロテスタントの聖職者。
カーロイ・シャーンドル(Karolyi Sandor)[1831-1906年]:伯爵。1881年、自由党の衆議院議員。1884年、アポニィ派に転身。1904年、独立党に入党。
カーロイ・ミハーイ(Karolyi Mihaly)[1875-1955年]:伯爵。1918年11月、共和国政府の首相。1919年1月、臨時大統領に就任。同年7月、フランスに亡命。
ガラミ・エルネー(Garami Ern?)[1876-1935年]:社会民主党の穏健派の指導者。同党機関紙『ネープサヴァ』の編集長。共和国政府の閣僚。ソビエト共和国期、スイスに亡命。

ギースヴァイン・シャーンドル(Giesswein Sandor)「1856-1923年」:カトリックの高位聖職者。カトリック人民党創設メンバーの一人。レオ十三世の回勅に共鳴し、キリスト教社会主義を提唱。1913年、キリスト教社会党の党首。第一次大戦末期、反戦に転じ、大戦後は白色テロルを非難。

クザ、アレクサンドルC.(Alexandru C. Cuza)[1857-1947年]:ルーマニアの政治家でヤシ大学教授。過激な反ユダヤ主義を標榜するキリスト教民族防衛連盟の指導者。1938年、首相。
クレベルスベルグ・クノー(Klebelsberg Kuno)[1875-1932年]:伯爵。ベトレン・イシュトヴァン内閣の内相及び宗教・教育相。
クンフィ・ジグモンド(Kunfi Zsigmond)[1879-1929年]:社会民主党幹部。共和国政府の閣僚。
グラッツ・グスターヴ(Gratz Gusztav)[1875-1946年]:経済専門家・政治家。親独路線とユダヤ人法に反対したため、ドイツ軍の占領後、マウトハウゼン収容所に送致された。

ケルチェイ・フェレンツ(Kolcsey Ferenc)「1790-1838年」:詩人・政治家。1823年、国歌を作詞。国会議員(1832-36年)時代、農奴解放を唱えた。

コヴァーチ・エニケー(Kovacs Enik?)[1970年−]:建築家。ヘゲドゥシュ・ロラント(カルヴァン派の牧師で正義・生活党の創設メンバー)夫人。2010年、ヨッビクの国会議員。
コヴァーチ・ダーヴィッド(Kovacs David)[1976年−]:1994年、正義・生活党に入党。ヨッビクの結成に参加し、ヨッビクの初代党首(2003-06年)。2006年以降、副党首。ハンガリー自警団の創設をめぐり、2008年離党。
コシャーリ・ドモコシュ(Kosary Domokos)[1913-2007年]:セクフュー門下の歴史家。1946-49年、ブダペスト大学教授。体制転換後の1990-96年、科学アカデミー総裁。
コルンフェルド・モーリツ(Kornfeld Moric)[1882-1967年]:男爵。銀行家・工業家。『ニュガト;西方』の後援者。1927-44年、上院議員。
コンチャ・ジェーゼー(Concha Gy?z?)[1846-1933年]:国家学者。1872-92年、コロジュヴァール(現ルーマニア領クルジュ=ナポカ)大学教授。1892-1928年、ブダペスト大学教授。1913-18年、貴族院議員。セクフューの『三世代』を「扇情的な」著作と批判。
ゴガ、オクタヴィアン(Octavian Goga)[1881-1938年]:ルーマニアの詩人・政治家。1935年、クザのキリスト教民族防衛連盟とゴガの農業者党が合同して、キリスト教民族党を結成。同党のロゴの中心には、鉤十字が描かれていた。1937年12月-38年2月、首相。

サボー・デジェー(Szabo Dezs?)[1879-1945年]:トランシルバニア出身の作家。農村人民主義の先駆。人種的反ユダヤ主義者。
サボー・ミクローシュ(Szabo Miklos)[1935-2000年]:歴史家。共産党政権時代、サミズダート(地下出版)活動に従事。自由民主連盟の創設メンバーで、同党国会議員。『新保守主義と右翼急進主義の歴史』は遺著。
サボルチ・ミクシャ(Szabolcsi Miksa)[1857-1915年]:週刊紙『平等』(1881年創刊)の主筆。1889年、ヴァージョニィらとユダヤ教の公認化運動を始める。
サボルチ・ラヨシュ(Szabolcsi Lajos)[1889-1943年]:作家・ジャーナリスト。1907年以降、父親が経営する『平等』紙に関与。1911年から編集長。『平等』紙は1938年のユダヤ人法で発行が停止され、彼自身は1940年、労働奉仕隊に招集された。
ザーカーニ・ジュラ(Zakany Gyula)[1889-1963年]:カトリックの司祭。覚醒ハンガリー人連合創設者の一人。1920-22年、衆議院議員。
ザカリア、ファリード(Fareed Zakaria)[1964年−]:インド出身のアメリカのジャーナリスト。

シャルカハージ・シャーラ(Salkahazi Sara)[1899-1944年]:1927年、シュラフタの活動に啓発され、修道女として社会福祉事業に従事。運営する社会事業所に数百名のユダヤ人をかくまっていたが、1944年12月27日、同事業所で働く女性の密告でユダヤ人と共に逮捕され、矢十字党員によって殺害された。この事実は1967年、元矢十字党員の裁判で判明した。
シュチファーニク、アントン(Anton ?tefanek)[1877-1964年]:スロバキアの政治家。チェコスロバキアの独立後、教育相。
シュミット・マリア(Schmidt Maria)[1953年−]:歴史家。ユダヤ人問題の専門家。第一次フィデス政権(1998-2002年)時、オルバン首相の側近になる。
シュラフタ・マルギット(Schlachta Margit)[1884-1974年]:カトリック修道女で社会活動家。1920年、ハンガリーで最初の女性議員。ユダヤ人法やユダヤ人の移送に抗議し、教皇に直訴する。第二次大戦後、国会議員(1945-49年)。1949年、アメリカに移住。
ジョージ、ヘンリー(Henry George)[1839-1897年]:アメリカの経済学者。急進自由主義的な土地改革論者。主著『進歩と貧困』(1879年)において、地主の土地独占を自然法侵害と主張。

セクフュー・ジュラ(Szekf? Gyula)[1883-1955年]:歴史家。1920年の『三世代』で戦間期の有力なイデオローグとなる。
センデ・パール(Szende Pal)[1879-1934年]:弁護士、市民急進党の副党首。

ソロス、ジョージ(George Soros)[1930年−]:投資家・慈善家。「オープン・ソサエティ財団」の創設者。

チュルカ・イシュトヴァン(Csurka Istvan)[1934-2012年]:作家・戯曲家。民主フォーラム創設者の一人。1993年以降、正義・生活党党首。
チョーリ・シャーンドル(Csoori Sandor)[1930-2016年]:詩人・作家。民主フォーラム創設者の一人。理論誌『ヒテル;信用』の編集長。
チョルノキ・イェネー(Cholnoky Jen?)[1870-1950年]:ジェントリ出身の地理学者。1905年、コロジュヴァール(現ルーマニア領クルジュ=ナポカ)大学教授。第一次大戦後、ブダペスト大学教授。

ティサ・イシュトヴァン(Tisza Istvan)[1861-1918年]:伯爵。首相、1903-05年及び1913-17年。
ティサ・カールマン(Tisza Kalman)[1830-1902年]: 1875-90年、首相(自由党党首)。
ディネル=デーネシュ・ヨージェフ(Diner-Denes Jozsef)[1857-1937年]:ジャーナリスト・芸術史家。1918-19年、共和国政府の外務副大臣。

トルマイ・セシル(Tormay Cecile)[1875-1937年]:作家。1919年、婦人国民連合を結成。1923-37年、『ニュガト;西方』に対抗する雑誌『ナプケレト;東方』の編集長。
トロツキー、レフ(Lev D. Trotskii)[1879-1940年]:ロシア革命後、外務人民委員。軍事人民委員として赤軍を創設。

ハトヴァニ・ラヨシュ(Hatvany Lajos)[1880-1961年]:男爵。作家・批評家。『ニュガト;西方』の主宰者。
パタイ・ヨージェフ(Patai Jozsef)[1882-1953年]:詩人・作家・翻訳家。1911年、シオニズム雑誌『過去と未来』を創刊。1940年、パレスチナに移住。
バビッチ・ミハーイ(Babits Mihaly)[1883-1941年]:作家・文学史家・翻訳家。『ニュガト;西方』を代表する一人。
バルタ・ミクローシュ(Bartha Miklos)[1848-1905年]:トランシルバニア出身の民族派指導者。1873-75年及び1881-1905年、独立党所属の衆議院議員。
バルツォー・ゾルタン(Balczo Zoltan)[1948年−]:1992年、民主フォーラムに入党。翌年、正義・生活党の結成に参加。1998-2002年、正義・生活党の国会議員。2003年ヨッビクに加入し、同党副党首。2009-10年、欧州議会議員。2010年、国会議員。2014年5月、欧州議会議員に再選された。
バルトーク・ベーラ(Bartok Bela)[1891-1945年]:作曲家・ハンガリー民謡研究者。1907年、ブダペスト音楽院教授。
バンガ・ベーラ(Bangha Bela)[1880-1940年]:イエズス会修道士。近代主義を危険思想と見なすピウス十世の保守化路線を率先した。

ピウス十世(Pius X)[1835-1914年]:ローマ教皇〔在位1903-14年〕。近代主義を危険思想と見なした保守的な教皇。

ファルカシュ・アンドラーシュ(Farkas Andras)[生没年不詳]:十六世紀の人文主義者で宗教改革者。著書『ユダヤ人とハンガリー人について』(1538年)で、ユダヤ人にとってはローマ帝国、ハンガリー人にとってはオスマン帝国が「神の罰」であると指摘。
プロハースカ・オットカル(Prohaszka Ottokar)[1858-1927年]:1905-27年、セーケシュフェヘルヴァールの司教。1900年、『キリスト教社会主義』と題する著書を出版。1924年、覚醒ハンガリー人連合の全国大会で、ハンガリーの民主主義は「ヤーシの胸で温められ、ガリレイ・サークルで羽化した」と講演。
ブラウ・ラヨシュ(Blau Lajos)[1861-1936年]:神学者・歴史家。1889年、ラビ養成学院教授。
ブリュル・アデール(Brull Adel)[1872-1934年]:詩人・作家。アディとは1903年、ナジヴァーラド(現ルーマニア領オラデア)で出合い、1912年まで親密な関係を続ける。彼女はアディの詩神で、作品の中ではレーダ(Leda)と呼ばれた。

ヘゲドゥシュ・ロラント(Heged?s Lorant)[1968年−]:確信的な反ユダヤ主義者のカルヴァン派牧師。正義・生活党の副党首で、1998-2002年、同党国会議員。
ベトレン・イシュトヴァン(Bethlen Istvan)[1874-1946年]:伯爵。1919年、ウィーンで反ボルシェビキ委員会を創設。1921-31年、首相。
ベネデク・マルツェル(Benedek Marcell)[1885-1969年]:作家・文学史家。1947-62年、ブダペスト大学教授。

ホルティ・ミクローシュ(Horthy Miklos)[1868-1957年]:オーストリア・ハンガリー海軍提督で最後の司令長官。1920-44年、摂政。

ヤーシ・オスカル(Jaszi Oszkar)[1875-1957年]:社会学者。1919年5月、ウィーンに亡命。渡米後、オーバーリン大学教授。

ヨーゼフ二世(Joseph II, Habsburg)[1741-1790年]:神聖ローマ皇帝・オーストリア大公〔在位1765-90年〕。1781年、農奴解放。1781-83年、ユダヤ教徒への寛容令を発布。
ヨッフェ、アドリフ(Adol'f A. Ioffe)[1883-1927年]:ペトログラード軍事革命委員会議長。ソ連の外交官。
ヨルガ、ニコラエ(Nicolae Iorga)[1871-1940年]:ルーマニアの民族主義的な歴史家(ビザンチン研究)・政治家。ブカレスト大学教授。1910年、クザと民族民主党を結成。1931年4月、首相に就任。同年11月、ファッショ的な鉄衛団を非合法化する。晩年、鉄衛団と対立し暗殺された。

ラヴァス・ラースロー(Ravasz Laszlo)[1882-1975年]:カルヴァン派の神学者。1927-44年、上院議員。ホルティ体制を強力に支持したため、戦後は活動を制限された。
ラーコシ・マーチャーシュ(Rakosi Matyas)[1892-1971年]:共産党員。1941-44年、亡命中のハンガリー人グループを掌握し、帰国後、実質的な独裁者になる。1952-53年、首相。1962年、党中央委員会によって除名された。
ラデック、カール(Karl B. Radek)[1885-1939年]:ポーランド生まれ。1918年、ドイツ共産党の結成に参加。ロシア共産党の中央委員(1924年失脚)及びコミンテルン執行部書記。
ラーンキ・ジェルジ(Ranki Gyorgy)[1930-1988年]:著名な経済史家。1962年、ハンガリー歴史学研究所の副所長。1979年以降、インディアナ大学でハンガリー学講座を担当。

リトーク・エンマ(Ritook Emma)[1868-1945年]:作家。ナジヴァーラド(現ルーマニア領オラデア)のジェントリ出身。ユダヤ系作家の「文化汚染」を非難し、トルマイと行動を共にする。

ルカーチ・ジェルジ(Lukacs Gyorgy)[1885-1971年]:哲学者・文芸批評家。西欧的マルクス主義の代表。ソビエト共和国では教育人民委員代理、及び赤軍第五師団の政治委員。

レオ十三世(Leo XIII)[1810-1903年]:ローマ教皇〔在位1878-1903年〕。「資本と労働の権利と義務」と題する回勅で、労働者の貧困や境遇の改善は社会正義の問題であると説いた。
レスナイ・アンナ(Lesznai Anna)[1885-1966年]:詩人・画家・作家。本名モスコヴィッツ・アマーリア。1913-18年、ヤーシと再婚。この頃、『二十世紀』や『ニュガト;西方』グループの進歩的知識人や芸術家と知り合う。1919年、ウィーンに亡命。1939年以降、アメリカ在住。



[2019.8.30up]

事務局:Scholar Errant 編集委員会
Email:journal.scholar.errant@gmail.com