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トップページ>自由投稿>非リベラル国家宣言の背景 寺尾 信昭

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非リベラル国家宣言の背景

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  • ―ハンガリーのユダヤ人問題と新保守主義の系譜―

                              寺尾 信昭

はじめに                  >>> pdf

1 移民導入政策とユダヤ人の同化      >>> pdf
      新保守主義の台頭

2 大戦下のユダヤ人問題アンケート     >>> pdf

3 ヤーシ・オスカルのユダヤ人論      >>> pdf
      戦後革命のイデオローグとしてのヤーシ

4 アディ・エンドレのユダヤ人論      >>> pdf

5 新保守主義の系譜            >>> pdf
      体制転換後

6 非リベラル国家宣言           >>> pdf
     ストップ・ソロス法
     結語にかえて

人名解説                 >>> pdf

Background to the Declaration of Illiberal State (summary)     >>> pdf




4 アディ・エンドレのユダヤ人論
アディは1918年10月末の共和国革命のエートスであった。彼の四一年二ヵ月の生涯[1877年11月-1919年1月]は、ハンガリーの封建遺制へのあくなき挑戦であった。それは1901年に書いた「ハンガリーの双頭の鷲」における「民族主義と教権主義」批判から、ヤーシらの急進党大会(1918年10月16日)に宛てた連帯声明(1)に至るまで一貫している。共和国宣言(11月16日)後、アディは見舞いに来た国民会議と政府の代表団に、「私の革命は成就した」と返答した(2)。
アディにとってハンガリーは、拒絶と愛着が入り交じった存在であった。拒絶すべきは半アジア的な後進性であり封建遺制である。『新詩集』(1906年)に収められた「ハンガリーの荒野にて」(荒野は後進性の象徴(3))でも、同様のアンビバレントな心情が読み取れる。

荒涼とした大地をそぞろ歩く、
夏草が生い茂る父祖の地を。
この荒れ果てた大地を、私は知っている。
これがハンガリーの荒野だ。
聖なる大地に頭を垂れる。
この処女地はどこか蝕まれている。
ああ、空に向かって背伸びする夏草よ、
ここに花はないのか。

大地に眠る魂を観察していると、
蔓草が私をやさしく包み、
朽ちた花の匂いが、悩ましく私の五官を浸す。
静かだ。私は魅入られたように
草むらに身を横たえ、安堵する。
広大な荒れ野の上を、爽やかな緑の風が吹き渡る(4)。
「ハンガリーの双頭の鷲」でアディは、民族主義と癒着し、愛国心で偽装された教権主義が最も危険であると警告した(5)。そして、翌年の「民族主義者たち」で、「民族主義は最も忌まわしい嘘であり、危険な病だ。民族主義は、無教育な大衆の野蛮な行動や情熱を利用する」と断じた(6)。
アディは東北部のジェントリ出身で、ヤーシとはギムナジウムの同窓であった。1912年にヤーシの著書『国民国家の形成と民族問題』が出版されると、民族問題を解決すべき民主主義の金字塔だと絶賛した(7)。アディはこうした民族主義批判の延長線上に、バルタの反ユダヤ主義をハンガリー社会の「病根」と批判した(8)。アディはまた、世紀転換期のルーマニアで(9)、極右政治家のアレクサンドル・クザや著名な歴史家のニコラエ・ヨルガと共に、過激な反ユダヤ主義(10)を展開していた詩人のオクタヴィアン・ゴガに対して、「ユダヤ人に対するルーマニア人の憎悪は、まさにビザンチン的美学である。しかし私の見るところ、[中略]主はハンガリー人のために、唯一の存在、すなわちユダヤ人を与えたもうた。彼らは、我々の混乱し夢みがちな血統と暗い東方志向に対する解毒剤である」と論じた(11)。アディはハンガリー人のアジア的夢想癖や東方に回帰しがちな性向に対して、合理性を重んじるユダヤ人が「解毒剤になる」と説いたのである。
共生の記憶
ヨーロッパとアジアの境界に浮ぶ「渡し舟国家」たるハンガリーは、「東から西へと漂って来たが、今や逆行している」とアディは1905年、「知られざるコルヴィナ写本の余白」に書いた(12)。「逆行している」という危機感が、十六世紀トランシルバニアの宗教改革に見られる進取と革新の記憶を鮮やかに蘇らせた。
ライン川流域で偉大な文化の民は、まだユダヤ人を焼き殺していた。西欧ではどこでも、ドミニコ修道会の血に飢えた犬が獲物を追い詰めていた。しかしながら、古代の原始的な魂を宿したトランシルバニアのハンガリー人は、放浪のラビに割礼してもらうことを躊躇しなかった。アジアの最西端に位置する小国は、信仰は私事であると大胆にも宣言した。[中略]トランシルバニアでは、ユニテリアン派がキリストを否定することさえ自由であった(13)。
ハンガリーはオスマン帝国との戦争の結果、十六世紀にトルコ占領地域の中央部と東西のハンガリー王国に三分割された。ウィーンに隣接する西ハンガリー王国はカトリックの影響下にあったが、宗教改革推進派の東ハンガリー王国(トランシルバニア)は、カトリック、ルター派、カルヴァン派、それにキリストの神性を否定し、反三位一体論を唱えるユニテリアン派を公認の宗教と認めた。ラビから割礼を受けた安息日厳守派は、プロテスタンティズムの急先鋒たるユニテリアン派から分離した教派である。
アディも1917年のユダヤ人問題アンケートに所見を求められたが、回答した60人の中に彼の名前はない。しかし、1924年の『ニュガト;西方』1月号に掲載された「コッロボリ」(1917年7月)という散文詩こそ、ユダヤ人問題に対する彼の回答であった。「コッロボリ」は大略、次のような白昼夢である。
サタンが戯れに降りて来たのだろうか。私にはドナウ・ティサ盆地に民族形成の創造的瞬間が再び訪れたのが見える。最近私は、カーロイ・ガシュパルがハンガリー語に訳した旧約聖書から、毎日「エレミヤ書」の恐ろしくも素晴らしい哀歌を朗誦している。素朴な預言者エレミヤの見たものは、ユダヤ人とハンガリー人の類似性を立証したトランシルバニアの説教修道士、ファルカシュ・アンドラーシュの著書からも読み取れる。
  このところ、私の舞踏病は最高潮だ。私は祖国を失って行くあてのない、美しくも痛々しい思案顔の娘と踊っている。この美しい女奴隷はダンスに興じながら、これが歴史なのよと言う。果して、私は歴史が本格的に始動し、私の身辺にまで伝わって来る時代に生きているのだ。私の聖なる舞踏病が極めて個人的な享楽に過ぎないことを、私は承知している。しかし、自らの苦痛に酔いしれる死の舞踏のさなか、私の中ではまるで、ただ一人とり残された最後のハンガリー人がむせび泣いているかのようだ(14)。
この後に、彼の民族概念と歴史認識が続く。
単一民族のハンガリー人などというものは存在しない。在るのは諸民族の複合体としてのハンガリー社会であり、その中に百万のユダヤ人もいるのだ。このユダヤ人たちがブダペストを建設し、ハンガリーのあらゆる文物を遠目にも立派にヨーロッパ化してくれた。祖国を失った彼らが、我々を助けに来てくれたのだ。
ドナウ・ティサ盆地で、我々は数十年来コッロボリ(女性が演奏し男性が踊る、オーストラリア先住民の祝いの踊り)を実践してきた。この地域で類縁なき二集団は、コッロボリの規範に則った恋愛関係にある。ユダヤ人たちは既存の諸文化を踏襲した楽器でもって、この地に地歩を占めた。一方、ハンガリー人と称する我々は、憎悪と羨望でもってこの愛の踊りを踊った。愛情から互いを傷つけ合いながらも、当地で新しい民族集団を創造してきた(15)。
ハンガリー人とユダヤ人が、数十年来「新しい民族集団」を創造してきたという歴史認識こそ、「寄る辺なきアアロンの民との壮絶な愛の戦い、殺人的な抱擁、酵母たるセム族、ユダヤ人の援助」といった上記「コルヴィナ写本」の語句に象徴される、共生の記憶の集大成である。アディ自身、パリに住むナジヴァーラド(現ルーマニア領オラデア)出身の財産家ブリュル・アデール(ディオーシ・エデン夫人)と出合い、五歳年上のユダヤ系女性の援助でパリやフランス詩を知り、詩業を発酵させた経験を持つ。こうしたアディのユダヤ人論を、「半同化状態ゆえにハンガリー人の心の琴線に触れられない連中が、拡声器として彼のハンガリー的出自を利用したのだ」とセクフューは言う(16)。



注 4 アディ・エンドレのユダヤ人論
(1)Ady Endre, "Udvozlet az Orszagos Polgari Radikalis Part kongresszusahoz"[急進党大会への連帯声明]Ady Endre, Ady Endre osszes m?vei[アディ・エンドレ全集]CD-ROM (Budapest: Arcanum Adatbazis Kft., 1999), 散文集11-130. 連帯声明には、「諸兄の決議は全て私の支持するところです。封建的・民族主義的罪をあがなって下さい。ハンガリー人と全ての領内諸民族を救済して下さい。人民の権利と諸民族の同盟よ、来たれ。民主主義よ、来たれ。私は民主主義を信じる。諸兄の信念と結束力が勝利するよう、懸命に祈っています。真の人間らしさが再び地上に戻らんことを」と記されていた。
(2) Ady Endre, "Valaszbeszed a Nemzeti Tanacs es a Kormany udvozl? kuldottsegehez"[国民会議及び政府代表団への返礼]散文集11-132.
(3) Hanak ed., Magyarorszag tortenete 1890-1918[ハンガリー史第7巻]p. 994.
(4) Ady Endre, "A Magyar Ugaron"[ハンガリーの荒野にて]詩集Uj Versek[新詩集]所収。
(5) Ady Endre, "A magyar ketfej? sas"[ハンガリーの双頭の鷲]散文集2-152.
(6) Ady Endre, "Nacionalistak"[民族主義者たち]散文集3-45.
(7) Ady Endre, "Jaszi Oszkar konyve"[ヤーシの著書]散文集10-95.
(8) Ady Endre, "A fekely"[病根]散文集2-20.
(9) ルーマニアは最も根深い反ユダヤ主義の伝統を持つ国の一つである。当地では大所領の大半をユダヤ人が賃借し、細分化して小作農に転貸した。そのため、土地なし農民の四割近くがユダヤ人の仲介で土地を保有したが、借地管理人は通常、収獲の三分の一から二分の一という高利の賃貸料を取った。その結果、1907年、領主への農民反乱は一転してユダヤ人へのポグロムに変じた。
(10) 第一次大戦後、協商国は新興14ヵ国とマイノリティ条約を締結した。1923年、ルーマニア政府はユダヤ人に市民権を与えるという同条約に調印したが、クザ率いるキリスト教民族防衛連盟はこれに反対。1938年1月、ゴガ=クザ連立政権はユダヤ人法を導入して、ユダヤ人から市民権を剥奪した。
(11) Ady Endre, "Goga Octavian vadjai "[オクタヴィアン・ゴガの中傷]散文集11-7. ジョン・ルカーチは、「オクタヴィアン・ゴガの中傷」における「僅かばかりの反ユダヤ主義」(adagnyi antiszemitasag)という文言を、「僅かばかりの親ユダヤ主義」(a dose of philosemitism)と英訳しているが、それはアディ一流の逆説的表現の意を汲み取ってのことであろうか。J. Lukacs, Budapest 1900. Bilingual edition, ハンガリー語版p. 188, fn. 9, 英語版p. 191, fn. Cf. 早稲田みか訳『ブダペストの世紀末』(白水社、1991年)320-321頁、注18参照。
(12) Ady Endre, "Ismeretlen Korvin-kodex margojara"[知られざるコルヴィナ写本の余白]散文集7-8.
(13) Ibid.
(14) Ady Endre, "Korrobori"[コッロボリ]散文集11-117.
(15) Ibid.
(16) Szekf?, Harom nemzedek[三世代]初版p. 314. 復刻版p. 363.
[2019.8.30up]

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