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『革命のヨーロッパ』

The European Revolutions and the Character of Nations, 1931

      Eugen Rosenstock-Huessy  宮島直機 訳         >>> 全文pdf

序文(ハロルド・バーマン)                 >>> pdf


   プロローグ:第一次世界大戦と世界革命

第1章 はじめに(第一次世界大戦を終えて)          >>> pdf

第2章 「革命を成功させる秘訣(ひけつ)Arcana Revolutionis」  >>> pdf

第3章 失われつつあるヨーロッパの伝統        >>> pdf


   第1部 レーニンからルターへ:世俗世界の革命

第4章 ロシア革命:穀物の生産工場               >>> pdf

第5章 フランス革命:小さな1地方に生まれた偉大なヨーロッパ人 >>> pdf

第6章 イギリス:それはヨーロッパ              >>> pdf

第7章 ドイツ:森と讃美歌の国                >>> pdf

第8章 ポリュビオスの政体循環論               >>> pdf


   第2部 ローマ帝国からアメリカまで:教皇革命

第9章 帝国なき皇帝                     >>> pdf

第10章 ローマ:教皇による革命                >>> pdf

第11章 イタリア・ルネサンス(「第2の教皇革命Guelphic revolution」)  >>> pdf

第12章 ポリビオス再論:                   >>> pdf

第13章 オーストリア=ハンガリー帝国の遺産          >>> pdf

第14章 伝統を打ち砕いた石臼                 >>> pdf

第15章 アメリカ革命                     >>> pdf


   エピローグ:新しい歴史学のあり方

第16章 時代区分について                   

第17章 The future of Revolution               




序文(ハロルド・バーマン)
  この本が最初に出版されたのは60年も前(まえ)のことだが(初版は1938年。バーマンの序文は1998年に再版されたとき掲載(けいさい))、いまだにその内容は古さを感じさせず、読む者を魅了(みりょう)して止(や)まない。しかし、この本は内容に相応(ふさわ)しい評価がされてきたとは、とても言えない。伝統的な歴史学とその内容があまりに違っていたため、伝統に拘(こだわ)る歴史学者に無視されて来たからである。「さまざまな革命を分析してみせた」と称する歴史家に至(いた)っては(“The Anatomy of Revolutions”を書いた Crane Brintonのことか?:訳者)、この本を扱(こ)き下(お)ろす書評を4つも書いている。このことで思い出すのは、18世紀のイタリアの歴史学者ヴィーコGambattisa Vicoである。ヴィーコは生きているとき完全に無視され、死んでからも長い間、評価されなかった。しかし、いまではアメリカ中の大学で偉大な先駆者として評価されている。ヴィーコの著作を読むために特別の授業が用意されるまでになっているが、ローゼンシュトック=ヒュシーも遠くない将来、新しい歴史学の提唱者として高く評価されることに成るであろう。
この本を読めば、「歴史学history」がどうあるべきかがよく判(わか)る。高度に専門的なことが素人(しろうと)にも判(わか)るように、やさしく解説されている。歴史家として特別な訓練を受けていなくても、我々がどこから来て、どこに向かっているかが理解できるように説明されている。また歴史家にとっても、この本は役立つ内容に成っている。歴史とは何か・歴史はどう書かれるべきかが、判(わか)りやすく説明されているからである。この序文では、まずローゼンシュトック=ヒュシーの「歴史観theory of history」を紹介してみたい。ついで、それがこの本でどう具体化されているか紹介してみたい。

     I
ローゼンシュトック=ヒュシーによれば、ヨーロッパ史は大きな転換期を迎える時になると、おなじ「課題motif」が繰り返し登場して来るという。またヨーロッパ史は、この繰り返し登場して来る「課題」を念頭に時代区分をする必要があるという。そこで歴史家は、まず繰り返し登場してくる「課題」を見抜く必要がある。ローゼンシュトック=ヒュシー自身は、ヨーロッパ史が新しい時代の「生みの苦しみbirth throes」ともいうべき「出来事great upheavals」によって区分されると考えている。「出来事」とは、記念日となって残っている出来事であり、新しい政治制度・宗教・思想を生み出すことになった出来事のことである。また「時代を画するmake epochs in history」ような出来事は、民衆が「その情熱collective passions」を爆発させるときに発生している。
したがって歴史家たる者、事件が起きた日時を確認するだけでは不十分であり、歴史を長期的な視野で捉(とら)えるべきである。「細部に拘(こだわ)り、無意味な事実を収集するだけに終わることを避けるため、また事実に根拠づけられない歴史法則を主張することを避けるためto avoid the Scylla of disordered detail and the Charybdis of meaningless generalities」、歴史家は世代や世紀を単位に考えるべきなのである。「科学的」とか「客観的」と称してきた19-20世紀の歴史学は、ただ細かな史実に拘(こだわ)って来ただけであった。歴史の大きな流れを見ようとして来なかった。
ローゼンシュトック=ヒュシーにとって、歴史とは彼自身が経験した歴史、彼と同世代の人間が経験した歴史、ヨーロッパの自殺行為ともいうべき1914年の戦争を引き起こすことになった歴史を意味していた。ドイツ軍の兵士として彼がベルダンVerdunの戦線で経験したこと、また彼と同世代のヨーロッパ人が第一次世界大戦で経験したことが原因で、「新しい歴史観a new basis for understanding history」が登場して来ることになった。その結果、新しいヨーロッパ観、延(ひ)いては新しい世界観を「自分自身のものour own autobiography」とすることができたのである。ローゼンシュトック=ヒュシーは、これまで各国別でしか考えられて来なかった革命が、じつは全ヨーロッパ的な革命であったことを明らかにしているが、同時に19-20世紀の「史実崇拝のrealist」歴史学が、無意識のうちに自国中心の歴史を前提にしていたことを明らかにして見せた。
ローゼンシュトック=ヒュシーの「歴史観」を知れば、社会科学や人文科学にデカルトRene Descartes的な自然科学の手法を持ち込むことが間違っていることも理解できる。人々を理想実現に向けて一致団結させる「言葉の力power of language, or speech」を信じていたローゼンシュトック=ヒュシーは、客観的であることの如何(いかが)わしさを主張して止(や)まなかった。いまでは多くの優(すぐ)れた研究者が、彼のこの考え方に賛同するように成っている。しかし、それでも社会科学や人文科学(「歴史学、もしくは歴史の人間的な側面の研究 “science” of history or “humanity” of history」もそこに含まれている)は、相変(あいか)わらずデカルト的である。ただ、デカルト的な方法が間違っているとするローゼンシュトック=ヒュシーの主張に耳を傾ける者も増えてきている。歴史のあり方を決めるのはデカルトが重視した数字などではなく、人間の「情熱」や伝統なのだということが認識されるようになって来ている。ところが凡庸な歴史の書き手(博士論文・教科書・専門論文などの書き手)は、相変(あいか)わらず数字の収集と分析しか頭になく、歴史を伝統的なやり方で説明するだけである。
ローゼンシュトック=ヒュシーは「彼独自のやり方personal style」で歴史を叙述しているが(これを優れた歴史家であるページ・スミスPage Smithは、「きわめて反アカデミックな手法fiercely anti-academic language」と呼んでいる)、彼がそんな方法に拘(こだわ)るのは、「それ以外の方法では自分の歴史観を説明できないからessential to the statement of his vision」(ページ・スミスの言葉)なのである。
人類には実現すべき目標があり、それが何かということは歴史を見れば判(わか)るというのがローゼンシュトック=ヒュシーの「歴史観」である。歴史の大きな流れを読み取ってくれば、我々が将来どうなるかも知ることができると彼は言う。目指(めざ)すべき目標を何とか実現するために、おなじ「課題」が繰り返し登場して来ると言うのである。ただし、歴史家は自分の結論を読者に押し付けるようなことはすべきでない。なぜなら、歴史学は物理学や化学ではないからである(真実は一つではない)。ローゼンシュトック=ヒュシーは、読者に自分の結論を押し付けるようなことはしていない。ヨーロッパの歴史や伝統を読者自身に考えさせ、読者自身が答えを見つけて来ることを期待している。この本の最後の文章が、そうした彼の「歴史観historiography」をよく物語っている。「ベスビオ火山の灰のうえに再建された街で飲むワインの味は、また格別なはずである。私がこの本を書いたのは、生き残りを望む者が自分だけで無いはずだと確信していたからであった」(本文?ページ参照)。

     II
 ヨーロッパの近代史は900年前(まえ)ローマ教皇の指導下に、カトリック教会が皇帝・国王・領主による教会支配を排除した「教皇革命Papal Revolution」に始まるというのがローゼンシュトック=ヒュシーの考え方である。この革命を契機に、ヨーロッパでは繰り返し革命が起こることになった。イタリアでも(都市国家の登場)、ドイツでも(宗教改革)、イギリスでも(名誉革命)、フランスでも、アメリカでも(独立戦争)、ロシアでも革命が起きた。どの革命も一見すると国別に起きているように見えるが、じつは全ヨーロッパ的な規模の革命であった。また1914年に第一次世界大戦が勃発し、さらに1917年にロシア革命が起きたことからも判るように、どの革命も目標の実現に失敗していた。
ローゼンシュトック=ヒュシーによれば、ヨーロッパ人の夢は国境を超えてヨーロッパを1つに統合し、さらに全人類を視野に入れつつヨーロッパの再生を実現することであった。第一次世界大戦から2世代を経(へ)たいま、やっとその夢が現実のものになろうとしている。
この本では、まずロシア革命が紹介され、そのあとで18世紀・17世紀・16世紀の革命へと話が進められていく。歴史を逆に辿(たど)っていくのである。ヨーロッパを1つに統合する切っ掛けになった1075-1122年の「教皇革命」は、最後の最後になってやっと登場して来る。おかげで読者は馴染(なじ)み深い出来事から読み始めることができるが、ヨーロッパが1つになる話の開始まで(これこそが著者のテーマであった)何百ページも読み進めなければならないことになる。
マルクスKarl Marxに言わせれば、「歴史を牽引(けんいん)して来たのは革命であった」。しかし革命が歴史を牽引(けんいん)してきたのは、ヨーロッパだけであった。ドイツ・イギリス・フランスで起きた革命をマルクスは「ブルジョア革命」とか「資本主義革命」と呼び、そのあとに「プロレタリア革命」ないしは「社会主義革命」が続くと彼は考えていた。彼が「革命」と認めるのはこの2つだけで、16世紀以前に起きた革命が「封建制度」の実現を目指す「革命」であったと彼は考えていない。このマルクスの時代区分法、つまり中世の封建制度が革命によって近代の資本主義制度に変わり、さらに社会主義制度に変わるという時代区分法は、不幸なことに社会主義制度を採用したロシアだけでなく、ロシア以外の国でも採用されて来た。この時代区分法で最大の問題点は、11世紀末-12世紀初めに起きた革命が無視されていることである。この革命は、それを起こしたローマ教皇グレゴリウス7世に因(ちな)んで「グレゴリウス改革」と呼ばれているが、最近この出来事が「中世前期low Middle Ages」と「中世盛期high Middle Ages」を隔(へだ)てる革命的な出来事であったと考えられるようになって来た。これを「教皇革命」と呼んだのは、ローゼンシュトック=ヒュシーが最初であった(この本の構想が最初に登場して来るドイツ語版Die Europaischen Revolutionen: Volkscharaktere und Staatenbildung, 1931を参照)。カトリック教会の変革が革命的な意味を持っていたことを彼は見抜き、またそれがのちの世俗世界の革命(カトリック教会の変革に対抗して起きた革命であった)に大きな影響を与えたことを彼は初めて指摘して見せたのである。その結果、マルクスの経済決定論が間違っていることが証明されることになった。いずれの革命も経済のあり方のみならず、政治・社会・法制・宗教など、あらゆるものを変えてしまったのである。また、それは1国で始まりながら全ヨーロッパに広がっていったのである。
この本の第8章「ポリュビオスの政体循環論」でローゼンシュトック=ヒュシーは、ヨーロッパ各国の革命の共通点、およびヨーロッパ各国がどのようにして共通のヨーロッパ文化を創ることになったかを説明している。ポリュビオスの政体循環論によれば、王制が腐敗すると専制になり、つぎに専制が貴族制に取って代わられる。さらに貴族制が腐敗すると寡頭制に取って代わられ、寡頭制はやがて民主制に取って代わられるが、民主制も腐敗して衆愚制になり、ふたたび王制が登場して来ることになる。しかしローゼンシュトック=ヒュシーによれば、ヨーロッパで政体は循環していなかったのである。ヨーロッパでは、王制・貴族制・民主制が共存していた。おなじように、封建制・資本主義体制・社会主義体制も共存していた。第12章で彼は再度、ポリュビオスに言及(げんきゅう)しているが、そこで彼はヨーロッパ各国の革命に見られる共通点を挙げている(最初からヨーロッパ全体が問題になっていた「教皇革命」にも、おなじ共通点が見られる)。どの革命も数世代、続いたあとで終わりを迎え、革命が終わると今度は革命に対する反動期があって、そのあとで革命は「終焉(しゅうえん)Golden Age」を迎えていた。この革命の周期についてローゼンシュトック=ヒュシーは、政治・経済・法制面のみならず、言葉や芸術なども取り上げて論じている。
もちろん、この本にも多くの問題があるが、みごとな洞察(どうさつ)に満(み)ち溢(あふ)れていることは否定できない。たとえばアメリカ革命(独立戦争)に関する著者の指摘は、たいへん興味深い。1776年のアメリカ革命は、17世紀のイギリス革命(ピューリタン革命)が持っていた貴族的・「共同体的communitarian」・伝統主義的な特徴と、フランス革命が持っていた民主的・個人主義的・合理主義的な特徴を共に有していたと言うのである(この特徴は現在のアメリカについても指摘できる)。
どの革命も、まず過激な運動として始まり、結局は決別するはずだった過去との妥協で終わっている。1938年にこの本を初めて出版したとき、すでにローゼンシュトック=ヒュシーはロシア革命が1934年に「終焉(しゅうえん)」を迎え始めたと書いていた。スターリンIosif Stalinはロシア史とロシア語の大切さを強調するようになり、それまでの過激な国際主義を放棄し始めたのである。ロシア革命は、「終焉(しゅうえん)」を迎えるのに50余年、掛(か)かったことになる。
『革命のヨーロッパ』が出版されてから60年が過(す)ぎたが、いまだにローゼンシュトック=ヒュシーが提唱した「新しい歴史学のあり方new science of history」は歴史家に影響を与えていない。それどころか歴史家の視野はますます狭いものになり、歴史学が目指(めざ)すべきものからますます遠ざかっている。現在と未来にとって過去が何を意味するか理解するようになった歴史家は、ほんの2、3人に過(す)ぎない(それも、やっと晩年(ばんねん)になってからである)。歴史家が問題にするのは細かな事実に過(す)ぎず、未来にとって重要な意味を持つ出来事や、かつて父祖たちの「情熱」を掻(か)き立てた言葉などは無視されたままである。問題にされているのは、相変(あいか)わらず「諸勢力forces」や「諸条件conditions」だけである。
ローゼンシュトック=ヒュシーは偉大な予言者であった。そして偉大な予言者の例にもれず、彼も生きているあいだは無視され、死後やっと注目されるようになった。独特なスタイルで書かれたこの本は、歴史とはどう考えられるべきものなのか、どうすれば21世紀の歴史学が人類の未来を予測できるのか示してくれている。

[2019.9.6up]

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