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挑戦的萌芽研究 日本・東欧スラブ関係史



2017年 年頭のご挨拶

 皆様、明けましておめでとうございます
  本年はロシア革命から百周年にあたり、各専門分野での研鑽と発表に画期的なはずみがつくと予感されます。
  いっぽう我われ日本の東欧研究者にとっては、第一次世界大戦終結から百周年目となる2018年がひかえております。 我われには如何なる課題が課せられ、いかなる成果を遂げることが期待されるのでしょうか。
  実は、明確な到達地点すら想定されていないこと、そのものが問題であると申さざるをえません。 第一次世界大戦後に、日本と東欧各国のあいだには、極めて緊密で重要な相互関係が存在しました。 にもかかわらず、その充分なる把握がされぬままに、 第二次世界大戦と冷戦を経て、研究に一種の空白状態が生まれてしまったのです。
  1981年に国内外の東欧史研究の先輩たちは国際シンポジウムを企画し、若手研究者たちを励まして、 戦前における日本・東欧関係史を掘り起こす恊働作業を始め、この空白期に豊穣なる史実が隠されていることを示唆しておりました。 しかしこの示唆は今にいたるもほとんど引き継がれることなく、日本・東欧関係史は進展をみせていないとさえ言えます。
  ところが近年において日本外交史研究の新たな展開により、第二次世界大戦以前の日本と東欧間の国際関係の重要性が、 東欧研究者外から指摘され始めました。 また海外における同時期の日本研究も、多くの問題提起や優れた分析を輩出しつつあります。
  日本は明治以来の近代化の歩みの中で帝国成立を自覚し、有力なグローバル・パワーとして行動し始めました。 ところが西欧を中心とする近代世界秩序は、第一次世界大戦によりいったんは崩壊し、「西欧の没落」を西欧自らが語り始めたのです。 他方、東欧スラブ地域と日本および東アジアには新秩序が胎動し、多様な局面で、また様々な人脈によって、新たな世界秩序が模索され始めます。 とりわけ第一次世界大戦期以降には、日本と新興東欧地域の邂逅によって、相互関係が密接となり、いわば世界史上の新たな展開を生みだしたのです。 すなわち日本外交は第一次世界大戦後に生まれた東欧国家群に対して積極的に関与し、東欧スラブ地域も新しく「列強」に仲間入りした日本に強い関心や期待を抱きました。 両者は国際連盟等を通じて互恵的関係を築いたのです。 それはまさに新世界の互恵的秩序形成と呼ぶに相応しいものであり、検証に値する真に重要な歴史と言えます。
  我われは今ここに、日本における東欧像、東欧における日本像を、発掘し再検証することを呼びかけます。 我われ東欧研究者は、近代世界における東欧像と日本像を、正確に把握してきたと言えるのでしょうか。 近年の東欧研究は、各国別に研究テーマの細分化と専門化を深めたといえるかもしれません。 だが、かえって全体像を捉え損なう陥穽におちいってはいないでしょうか。
  否、東欧研究者に限りません。最近の研究業績においても、国際連盟常任理事国であった日本の役割、 あるいは第一次世界大戦前後の近代日本の国際的役割に対して、不正確な、あるいは矮小化された評価が定着していることを指摘せざるをえません。 これは海外の日本帝国研究の成果とは真逆といえる歴史像です。 なぜこのような錯誤が定着したのか、原因そのものを深く探る必要があるとも考えます。
  これまで切り離されてきた日本と東欧スラブ地域の動きを同一の視座のもとに捉え、これを世界史的文脈の中に位置づけることを目指さねばなりません。 その行く手には、新しい座標軸による新しい世界史像を生み出す予感すらあります。
  今ここに我われが呼びかけ、着手しようとする、日本・東欧関係史の発掘と再検証に、若い世代が参加してくださること、 共に研究しつつ将来に一層の継承・発展を遂げてくださることを願っています。専門とする地域は日本や東欧スラブとは限りません。 地域を越えて、領域を越えて、オープンで協働的な研究を行いましょう。関心のある方がたの自由なご参加を、心から歓迎いたします。 日本・東欧スラブ関係史を世界史全体の中に位置づけ、世界と日本の現代史を再構築することが、我々の任務ではないでしょうか。 今年こそ、その一歩を共に踏みだそうではありませんか。

これまでの研究経過
1)1981年に提唱された日本・東欧関係史は柴理子氏によって日本・ポーランド関係の分野で誠実に継承、発展されてきました。 大津留厚氏はライフワークであるハプスブルク帝国研究の基礎の上に、捕虜文書保存を依頼されたきっかけから、 豊富な資料と綿密な探究を重ねて前人未到の領域を確立しました。第一次世界大戦に関する日本史と西洋史の協働が必要である事を家田裕子が提唱し、 長與進氏が新資料に基づくチェコスロヴァキア軍団研究を精力的に押し進め、また高弊秀知氏が両大戦間以降における 日本とハンガリーの思想史的相関の今日的意義を検証されるなど、幅広い関連領域で新しい挑戦や取組みが進展しつつあります。

2)2014年2月に学習院大学井上寿一学長をお招きして、「日本の国際連盟外交 ?スラブ・ユーラシア世界の成立と日本外交? 」と 題する講演会を北大で開催しました。井上先生の近著に描かれた東欧世界と日本外交の邂逅は、東欧史研究者にとって魅惑的かつ必須の課題です。 しかも 1981 年の東欧史研究会は「日本・東欧の文化交流に関する基礎的研究」に着手していたにもかかわらず、それ以降に発展、 継承されていないという東欧史研究上の問題が改めて浮かび上がりました。

3)こうした動きを繋いで、広い視野から全体を俯瞰しようとする学問的対話の機運が活性化し、研究会の発足が期待されるなかで、 幸いなことに、2015 年度科研費挑戦的萌芽研究として 『東欧世界の成立と日本:日本・東欧関係史の再構築と新たなスラブ・ユーラシア史』(家田修研究代表、 2015?2017 年度)が 採択されました。日本と東欧の関係を双方向で探究する作業の中から、世界史に新基軸を提示しようという大きな構想を立てております。 

  以上の経緯を経て2015年4月に「日本と東欧・スラブ・ユーラシア関係史研究会」を立ち上げ、日本史、東欧史、 広くスラブ・ユーラシア史にまたがる学際的な議論を以下のように積み重ねてきました。
・ 長與進氏によるチェコスロヴァキア軍団研究
・ 家田裕子による雑誌『New Europe』の資料紹介
・ 大津留厚氏によるオーストリア・ハンガリー帝国の捕虜研究と帝国の崩壊
・ B.ベルタラニッチ氏による両大戦間におけるスロヴェニア・日本関係研究
・『ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟』(高川邦子著)の合評会
・ 敦賀を経由地とする東欧スラブ地域からの難民の研究(古江孝治氏への聞き取り調査)
・ 1956年ハンガリー事件と東アジア情勢
 
今後の活動計画
 2017年は挑戦的萌芽研究の実働と総括をめざします。 地域やテーマごとに研究会を積み重ね、研究成果を集約するシンポジウムを2017年度末に開催いたします。 これを報告集として刊行し、次の研究への橋渡しとする所存です。
  研究会は月例会形式とし、会場としては北海道大学東京オフィスを活用する予定ですが、他にも有志の協力のもとに、 複数の会場を準備することも可能なので、ご遠慮なくお申し出ください。とりあえず各国別に担当を呼びかけた専門家を下記に挙げました。 また推薦を広くつのり、若手に開かれた場をめざします。
  報告テーマにつきましては、責任担当者が会合を開いて話し合い、骨格を築いたうえで、改めてご案内申し上げることとします。 あらゆる分野の方の御提言と御参加を期待しております。
 
連絡先:
  日本東欧スラブ関係史研究会事務局(メール:ieda.idea.ory@gmail.com)


  2018年1月頃 敦賀シンポジウム(予定)
家田 修    
[2017.2.16一部改訂][2017.1.11]

研究会の発足と趣旨

「日本と東欧・スラブ・ユーラシア関係史研究会」発足
 本年2月1日に学習院大学の井上寿一学長をお招きして、 「日本の国際連盟外交―スラブ・ユーラシア世界の成立と日本外交―」と題する講演会を開催いたしました。 井上先生の近著に描かれた東欧世界と日本外交の邂逅は、東欧史研究者にとって重要な課題です。 しかも1982年の東欧史研究会による「日本・東欧の文化交流に関する基礎的研究」が、それ以降にむしろ十分に発展、 継承されていないという東欧史研究上の問題が浮かび上がりました。 第一次世界大戦に関する日本史と西洋史の協働が必要である事を同学の家田裕子が提唱し、 また長與進氏が新資料に基づくチェコスロヴァキア軍団研究を精力的に進めておられること、 さらに高弊秀知氏が両大戦間における日本とハンガリーの思想史的相関の今日的意義を検証されるなど、 幅広い関連領域で新しい挑戦や取組みが進展しつつあります。 こうした動きを繋いで、広い視野から全体を俯瞰しようとする学問的対話の機運が活性化し、研究会の発足が期待されるなかで、 幸いなことに、平成27年度科研費挑戦的萌芽研究として 『東欧世界の成立と日本:日本・東欧関係史の再構築と新たなスラブ・ユーラシア史』(家田修研究代表、平成27-29年) が採択されました。 概要は以下に示しますが、日本と東欧の関係を双方向で探究する作業の中から、 世界史に新基軸を提示することすら可能であろうという大きな構想を立てております。 「日本と東欧・スラブ・ユーラシア関係史研究会」を立ち上げ、 日本史、東欧史、広くスラブ・ユーラシア史にまたがる学際的な議論を広げてゆく所存です。

趣旨
 スラブ・ユーラシア(旧ソ連・東欧)地域は第一次世界大戦、ロシア革命とソ連の成立、東欧諸国の独立という一連の世界史的出来事によって誕生しました。 同時期に日本は明治以来の近代化の歩みの中で帝国成立を自覚し、有力なグローバル・パワーとして行動し始めます。 西欧を中心とする近代世界秩序は、第一次世界大戦によりいったんは崩壊し、「西欧の没落」を西欧自らが語りはじめるようにさえなりました。 他方、スラブ・ユーラシアと日本ないし東アジアには新秩序が胎動し、スラブ・ユーラシアと日本の間では多様な局面で、 また様々な人物によって新たな世界秩序形成が模索され始めます。
  中でも日本と東欧の関係は、従来あまり光が当てられませんでしたが、まさに互恵的な新世界の秩序形成と呼ぶに相応しいものでした。 日本外交は第一次世界大戦後に生まれた東欧世界に対して積極的に関与し、東欧地域も新しく「列強」に仲間入りした日本に強い関心を抱いて、 実際に国際連盟等を通して互恵的関係が築かれたのです。 第二次世界大戦と続く冷戦により、この日本・東欧関係は中断されますが、双方に史資料や史実が豊富に埋もれており、 検証に値する歴史と言えます。かつて国内外の東欧史研究の先輩たちは、この相互関係史の輪郭を示唆しておりました。 我われは今ここに、日本外交史研究の新たな展開に刺激され、埋もれた歴史の再発掘を促されているかにも思えます。
  日本と東欧及びスラブ・ユーラシアの関係史は、究極的には世界史的文脈の中に位置づけられるべきものです。 新しい世界史像を生み出す予感すらあります。こうした将来像を見据えつつ、共に基礎を築き、 若い世代が本研究を継承・発展させていくことを願っています。専門とする地域は日本やスラブ・ユーラシアとは限りません。 地域を越えて、領域を越えて、オープンで協働的な研究を行いましょう。 関心のある方がたの自由なご参加を、心から歓迎いたします。
家田 修  
[2016.7.22]

「人道の港 敦賀ムゼウム」訪問記

 2016年7月7日、家田修、家田裕子、佐藤雪野、大津留厚の4人で「人道の港 敦賀ムゼウム」を訪れ、 館長の古江孝治氏からお話を伺いました。敦賀はウラジオストク航路の日本の玄関口として多くの人がそこを通って出国し、 入国しました。そしてウラジオストクを起点とするシベリア鉄道を通じて敦賀は世界に開かれていました。 そのため敦賀は、人の流れによって世界の動向を直接、敏感に感じ取れる町でした。 古江氏が敦賀市の職員として最初に取り組んだのが第一次世界大戦直後のポーランド孤児の問題だったことはやはり 「敦賀」という場を象徴的に物語っているのではないでしょうか。
 ポーランド孤児はロシア革命とその後の内戦の中で取り残され家族を失った子供たちでした。 シベリアに派遣された日本陸軍の帰りの輸送船で敦賀に着いた孤児たちが敦賀で過ごした日々の記録、 その後広尾の赤十字や大阪の赤十字を経由してポーランドに帰国するまでの記録がムゼウムの一角に展示されています。 敦賀の住民から聞き取り調査をしたり、赤十字に残された文書を調査したり、 という手法はナチ政権のドイツによって故郷を追われた人びとと、 彼らがともかく生き延びることを可能にした「杉原ビザ」を発行した杉原千畝の展示にも生かされていました。
 敦賀は玄関口として世界の変動を直に目の当たりにすることになる。 そしてその変動で困窮した人びとを暖かく迎えた敦賀は確かに「人道の港」と呼ぶにふさわしい。 しかしそれはあくまで通過点にすぎない。古江氏は通過点としての敦賀を発想の原点とすることをむしろメリットと することに成功していると言えるだろう。 つまり古江氏のこだわりは、「敦賀のユダヤ人」を可能にする条件を出来るだけ証拠に基づいて実証することにある。 なぜ彼らは故郷を追われたのか、どうやってカウナスまで来たのか、なぜ杉原千畝はビザを発行できたのか、 なぜその時のユダヤ人たちはシベリア鉄道を利用できたのか、完全でないビザを持った彼らが敦賀で上陸できたのはなぜか、 ともあれ神戸で一年近くを過ごすことができたのはなぜか、 その後の上海で日本軍の支配下でゲットーに閉じ込められながらも生き延びることができたのはなぜなのか、 などそこから見えてくる問いは深くて重い。
 日本を研究活動の拠点としながら中欧、東欧の歴史を研究している私たちにとって「現場」が遠いことは否めない。 その現場と拠点を結ぶ接点が敦賀にある。「人道の港 敦賀」を発想の原点としながら、 そこを通過した人びとの来し方行く末に迫ろうとする古江氏との間で共同研究が可能であるし、 またそれが必要なのではないかという思いを強くした訪問でした。
大津留 厚  
[2016.7.10]

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